連載 No.45 2016年12月18日掲載

 

荒涼とした大地への憧れ


先月末に終了した企画展は盛況だった。

モノクロームの作品、特に風景は、アプローチの難しい外国の絶景を撮影したものが多かった。

私の作品は凍りや水が多く、そして国内の風景だから、むしろ身近な被写体といえるのかもしれない。

ほかの作家の作品を見て、こんなすごい場所があるなら撮りに行きたいと思うのだが、

世界的に有名な撮影地となると入場者を抽選で決めることもあると聞く。

それでは撮影時間があまりにも短い。



私は一週間とか一ヶ月という長いスパンで被写体に向かう。

一瞬で誰もが目を奪われる絶景ではなく、何日かたって少しずつ見えてくる地味な被写体のほうが都合がよい。

そして、そのどちらもが同等に評価されるモノクロームの世界に魅力を感じている。



自分にとって、撮影地で長い時間をすごすことは、植物が夏の間に太陽のエネルギーを吸収するのと同じくらい重要だ。

そこで蓄えた養分が、長い暗室作業を支えているように感じる。

それは荒涼とした大地への憧れと結びつき、まるでホームシックのように、人のいない原野を懐かしく思う。



一人で車を走らせているうちにだんだん人家が少なくなり、
いてつく地平線が見えてくると、

体を縛り付けていたロープが一本ずつほどけるように、自由な気持ちになっていく。

一ヶ月近く車内で暮らし、人と会話することもない。

そんな内向的なたびのスタイルだから、

明るい日差しと緑が広がる夏ではなく時折ふぶく冬のほうが性にあっている。



毎年12月も半ばになると、北海道に撮影に出かけているかその準備で忙しい時期なのだが、

今年は現地での宿も兼ねている愛車が車検でひっかかり足止めされてしまった。

5年前に購入した中古のワゴン車は、溶接がはげてサスペンションのスプリングが折れるなど、修理には事欠かなかった。

自分で下回りを塗装し、整備には万全を期していたつもりだったが、

冬の北海道は融雪財の影響が大きく、表にまでさびが出始めたときには、内側はぼろぼろになっていた。



旅への万全を期すために整備に出したが、車輪を支えるフレーム周辺のさびがひどく、廃車になりそうなのだ。

整備工場で同じ車種の代車を探してもらっているが、限られた予算ゆえなかなか見つからない。

このまま北海道には出かけずに年を越しそうだ。

なじみの整備士の忠告は素直に受け止めたほうが安全だろう。



襟裳岬から釧路までは冬でも雪が少なく走りやすい。

高低差のない緩やかな直線が続き、十勝平野の大きさを実感させられる。

運転中に被写体を見つけることはめったにないのだが、路肩に車を止めて斜面から今年一月に撮影した。

かすかに残る日差しを赤外フィルムが程よく映し出している。